出社

実は朝早く会社に来るのは結構好きです。今朝は7時半に出社。早朝の出勤は会社の人に会う危険性も低いし、空気がすっきりしていて、ホントに素敵。
ちょっと腰の調子が悪いのでチャリ通はしばしお休み中ですが、その代わりまた本読みがやったら進む。今日はTIMEを読んでたんだけど、ナカナカ考える記事があったわけです。
その記事はAppleについて。でもその前に「会社」という生態についてちょろっと。

実は先週の金曜に部署の半年に一度のイベントがあって、そこにATカーニーのPrincipleを呼んで1時間くらいの講演をしてもらったんだ。その講演で幾つか気づいた点があったわけ。
今回に始まったことじゃないんだけど、会社に入って顕著なのは、組織をどうするか、という話以外のビジネス記事に「そう。こういう会社であるべき!」と思わなくなったこと。学生の時も思っていたけど、益々「盛者必衰」であるので、今のエクセレント・カンパニーの『手法』を真似するのは何の意味ももたらさない、ということから、別に誰がベスト・プラクティスを持っていようがどうでもいいんだ。だって、それは明日はきっと違うから。
なので、この会社は凄い、と取り沙汰されても、それがその手法である限り、「今はね。そういう風に見えるだけだって。」って思うようになった。前以上に。
なので、こういう戦略コンサルの人の話を聴いても、ダメなんだわ。「そう。だから、この会社は凄い!」って思えないわけ。

もう1点が、学生の時よりも増して「結局『人』なんだ」と思うようになっていること。

それ以上に巧く説明できないんだけどさ、会社でも、商品でも、それを特別なモノ、より競争優位のあるモノに仕立てるのはヒトなのだと。ここで、ではそれはどういう特徴を持ったヒトなのか、ってことに関して語るつもりはないし、正直それは意味のない議論だと思うんだが、(何故ならその人がユニークだからこそ優位性があるのであり、あの優れた人とカリスマのある人が同じ様な小学校に行っていた!などは私がここで云わんとしている「人」の必要十分条件じゃないので、ここで字数を稼ぐのも勿体のない話だから)
やはりそのグループ化したりできない、それぞれにとても良い所がある人間が、最終的には人と人が力を合わせた時に、本来以上の力を発揮させられるんだと思うんだ。モノを作るにせよ、何かを企画するにせよ、人の手によって成される上においては、人は飽くまでも材料だし、資源。それを最大限活かせる人たちが、上にあげるようなエクセレント・カンパニーを担ってる。と思っているのね、最近。

さて、周りくどいことを云いました。そのATカーニーのプレゼンに大量に会社は出てたけど、その中の一つにAppleがあった。それとSonyもあった。当然今となっては後者があたかも階段を転げ落ちることが当たり前かのように語られ、今となってはAppleはこれからも右肩上がりの成長を続けるかのように語られた。私はそこに疑問を感じたんだよね。企業が一時輝くことは簡単なのだと。輝き続けるのこそが永遠のテーマだし、私は個人的には不可能だと思ってる中で、聴きたいのは、ではどうしたらSonyは行き詰らなかったのか。究極的にはどういう人が居たら、そうならなかったのか。

じゃないですか。結局ね。

今日のTIMEの記事は金曜に私が抱いた感想を益々強くするような記事だった。Appleはビジネス書を覆すことばかりだ、といった趣旨が、その商品戦略や、デザイン、Steve Jobs という人に関して述べられてるのよ。私はバークレーにいた頃に父のお友達でAppleに勤めている方に連れられて、Cupertinoにある本社に行ったことがあるんです。そこは不思議な空間でした。ちょっとお金持ちの子供の子供部屋のようで、表面上はビジネスの臭いがしないんだよ。記事はそれがあたかもSteve Jobsの「拘り」だったり、人を見る目だったりに起源すると、云っているんだけど、でもどんなにSteve Jobsが好きなことばっかやってても、どんなにデザインにコストをかけていそうでも、結局お金を設けているわけだし、そこに必ずビジネスという発想はあるんだよね。そうじゃなければ存在を許されない世界なんだからさ。

それがちょっと本末転倒なような気がして、イマイチ腑に落ちない記事だった。