幸せとは

幸せって難だろう
と考えることは多々あるのだけれど、当たり前のことを当たり前にできる相手(複数かもしれない)とその当たり前に感謝しつつ、噛み締めつつ生きることなのではないか、と最近思います。
『幸せ』というGiganticな言葉を聴くと、あたかもそれはとってもすごいもので、非常事態なことで、大層驚き、花火のような勢いのあることなんじゃないか、って期待しちゃうんだけど、実は幸せってそういうことじゃないんじゃないかな、って思うのです。
ワタシは本当はただこうしてゆっくりと休みの日に音楽を聴きつつ、居心地最高の一人ソファに寝転んで、温いセーターともかもかの靴下を履いて、美味しい紅茶をすすりつつ、ネットサーフしてることがとても幸せです。多分。
こう、幸せは本当は絶対的なモノで、相対的なモノではないの。自分がそう感じるかどうかなんだけど、それってそう簡単には分からないものだし、多くの人は相対的な文脈の中でしか幸せの尺度を持ってないから、よりファンシーでエクスタシーな世界を想像するんだろうと思うんだけど、どうでもいいやん。他の人が分かるかどうか、なんて。
20代中盤というのはそこら辺にみんな遅かれ早かれ気づき始める年齢なんなんじゃないのかなって思う。だからあまりバカ騒ぎをしなくなったり、無駄に人とつるんだりしなくなったり、(まあワタシの仲間ってのはそこら辺は昔からはっきりしてて、自分は『これ』みたいの、持ってたけどね。)今までとは違ったタイプの人と付き合ったりするんだろうねえ。
これは哀しいことなんかもしれんけど、その絶対的価値観ってのを培う過程で自分はそんな大した人間でもないし、大したことがなくても幸せなんだ、ってことに気づいちゃうんだ。ああ、落ち着き。それですね。
落ち着きたし。

それだ、結局。